「もっと子どもたちと向き合いたいのに、時間がない」
「コメントを書くことに追われて、肝心の授業準備ができない」
「よく考えたら、無駄な仕事多くない??」
教員になりたての頃は、1人身であったことから、時間にもなんとなく余裕があり、毎日遅くまで学校に残ろうと思えば残れていました。
しかし、結婚し家族が増えてから、自分だけの時間だけではないことに気づき始めました。
でも、授業の準備もしなくちゃいけないし、子どももトラブルを起こすし…
そんなモヤモヤを感じていた時期が、私にもありました。
しかし、教員生活も年数を重ねてくると、続けてきた“あたりまえ”の中に、
実はやめても誰も困らないことがけっこうあると気づきます。
今日は、私が「やめてみてよかった」と心から思うことを2つご紹介します。
①道徳ノートなどへの「全員コメント」をやめた
以前の私は、道徳ノートを中心に主要教科のノートには
1時間ごとに全員へコメントをするようにどりょくしていました。
「すべての子に寄り添いたい」
「ひとことでも返せば、きっと子どもも何かに気づき、次への動力となるはず」
そう思って続けていたのですが――
現実は、
✔ 授業後に30〜40冊を前にため息
✔ コメントの質がどんどん雑に
✔ どんどん、タワーのように積み上がっていくノートの山
という悪循環でした。
よくよく考えれば、担任のコメントを気にしている児童はほとんどおらず、どの授業においても「早く終わらなかな」と思っている児童が大半…
それを考え出すと、一瞬心が折れた部分があったと思います。
▶️ 思い切ってやめたこと
1時間のうち、コメントを書くのは半分〜3分の1の子どもだけ。
全員にコメントを返すのは、単元やテーマが一区切りしたときだけにしました。
自分自身、働き方を変えていきたいと思っていましたし、家族ができ、少しでも家族との時間を捻出したいと思っていたからかもしれません。
すると…
・1冊ずつ丁寧に書けるようになった
・コメントを返す時間が半分以下に
・評価をしやすくなった
そんな実感がありました。
コメントを書くノートを絞ること(的外れなことを書いている子やふざけている子を省くこと)で、次時への評価もしやすくなり、次の授業への組み立ての時間も短くなりました。
コメント地獄に追われている先生方にはぜひとも試してほしい実践です。
②喧嘩の指導で「ごめんなさいの儀式」をやめた
もうひとつ、私がやめて本当によかったと思うのが、
「ごめんなさい儀式」です
3年目程度までの私は、児童間トラブルが起きると
とにかく“早く丸くおさめたい”という気持ちが先に立っていました。
先輩の先生方もそのように指導していたので、お互いに「ごめんなさい」を言うような指導をしていました。
でも、形だけの謝罪では、また同じようなトラブルが起こります。
謝罪した一方が全く納得していなかったり、保護者がでてきたり…
正直なところ、その儀式によって丸く収まったことの方が少ないのではないかと思っています。
▶️ 変えたこと
今は、まずそれぞれの話を丁寧に聞くようにしています。
そして最後に、指導ではなく、
「教師ではなく、自分という一人の人間」としての気持ちを伝えます。
「あなたがそう感じたこともわかる。でも、あの子の気持ちを想像すると、少し悲しいな。」
そんなふうに話すと、子どもたちは自然と相手の気持ちを考え始めます。
先生という、いわば子どもにとっては神のような存在に指導をされるのではなく、近くにいる第3者としての意見をそれぞれに話します。
ここで大事なのは、「それぞれに話すこと」だと思っています。
喧嘩やトラブルの指導において、ほとんどの場合はお互いに何かしらの落ち度があります。
片方への意見にとどまらず、お互いへ何か話すことが大事だと思っています。
謝る・謝らないではなく、“心で納得する”ところまで寄り添う指導に変わりました。
まとめ|やめることで、本当に大事なことが見えてくる
2つの「やめたこと」は、
どちらも“手抜き”ではなく、本質に戻る選択だったと思っています。
- 全員コメントをやめたら、1人1人をより丁寧に見られるようになった
- 謝らせる指導をやめたら、子どもたちが自分で考えるようになった
「やめる」ことで空いた時間と心の余白が、
結果的に子どもたちとの信頼関係を深めてくれています。
私の実践している指導方法が、少しでも他の先生方の働き方改革につながればいいなと思います。
では、また✋️



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